夏に花火をする由来は?

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まず、花火の元となる火薬が日本に伝わったのは1543年の種子島に流れ着いたポルトガル人の影響だったと言われています。

そして1613年に徳川家康が日本人で初めて花火を見ました。

徳川家康が見たのは打ち上げ花火で、それがきっかけで将軍や大名の間で流行し、やがて江戸の町民にまで広まりました。

実際に“花火大会”として花火があがったのは1733年のことです。

前の年に大飢餓とコレラが流行して大勢の死者が出ました。

将軍徳川吉宗は慰霊と悪霊撤退、人々の無病息災を願って、川開きの5月28日(陰暦)に隅田川で水神祭を行い、花火を打ち上げたのです。

これ依頼、川開きの日に花火が打ちあがることが定番となり、全国で夏の花火が定着しました。

夏の花火の由来


なぜ「たまや」と言うのか?


江戸時代に庶民の間で人気となった花火は、花火師の鍵屋弥兵衛が作ったものでした。

これが由来となって“鍵屋”が花火の定番となりましたが、鍵屋からのれん分けをした“玉屋”が登場したことで花火競争が行なわれるようになりました。

やがて東京で行なわれる隅田川の両国橋を境界として、下流は鍵屋、上流は玉屋が受け持つようになりました。

人々は下流で花火が上がると「かぎや~」と呼び、上流で花火が上がると「たまや~」と呼びました。

ふたつの呼びかけで、昔も今も「たまや~」の方が多いのには3つの理由があります。

一つ目は、江戸時代の時から花火の技術は玉屋の方が勝っていたからです。

二つ目は、語呂が良く掛け声にしやすかったからです。

三つ目は、実力があった玉屋がたった一代で消えてしまった玉屋への愛情を示したからです。

玉屋は火事を起こしたことにより、花火界から追放されてしまったのです。


鎮魂の意味もある?


日本の花火大会は7~8月に多く、特にお盆の時期に集中しています。

これには鎮魂の意味があるからです。

迎え火、送り火、灯篭流しと同じ意味で死者を供養するために花火を打ち上げています。

これは“鎮魂花火”と呼ばれます。

綺麗に夜空に打ちあがり、一瞬で消える様子はとても儚く、人の命のようだと例えられました。

灯りが消える悲しさや寂しさ、消えるものを慈しむ心を持つ日本人ならではの風習です。

冬に花火をする意味とは?


花火は夏というイメージが定着していますが、冬の花火は夏とは少し違った楽しみ方があります。

冬は空気が澄んでいるため、よりきれいに見えることが最大のメリットです。

空気が乾燥していることによって花火の空中燃焼時間が短くなり、打ちあがってすぐに消えてしまう儚さも魅力的です。

海外では年末のカウントダウンなどで打ち上げ花火や爆竹が使われています。

日本でも実は冬の花火大会があります。

2014年は1月と2月の毎週土・日曜日に河口湖で花火が打ち上げられました。

澄んだ冬の夜に、富士山の手前で打ちあがる花火はとても幻想的です。

12月には熱海でも海上花火大会が開催されています。

花火師も絶賛するほど花火に適した会場だと言われる熱海で、冬の海と打ち上げ花火の色鮮やかな組み合わせが風情を感じさせるようです。


まとめ


現代の花火大会は各地の夏祭りを盛り上げるためや、花火師の競争、花火の大きさ、迫力を楽しむものとなっていますが、元々は死者を弔う為の手段として使われていました。

特に昔は戦や病気で命を落とす事も多かったことから、慰霊と悪霊退散を願ったのです。

日本で始めての花火大会は両国大川(隅田川)の水神祭りでした。

花火は江戸だけでなく、九州や愛知県など外国との交流があった場所で製造されるようになりました。

特に愛知県は徳川家康の出身地ということもあって火薬への規制が緩く、町人らが競って花火を打ち上げたという記録も残っています。

昭和に入ってからは戦による火が拡大したため花火が打ち上げられる機会は減りましたが、花火を作る技術は衰えず、後継者を絶やさないことで現代までつながりました。

今でも花火大会が行なわれる日や場所には何かしらの意味があることが多いため、歴史をたどりながら花火を鑑賞するのも楽しいかもしれませんね。

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